勉強になりました
というのは
不幸がありまして
昨日まで家を留守にしておりました
亡くなったのは旦那の祖母で
私にとっては入籍する前に2ヶ月ほど一緒に住んだだけで(その後三重県に旦那と2人で1年間働きに出てました)
たくさん思い出があるわけじゃないけど
三重県から戻ったとき
私を見るなり抱きついてきて
もう行かないでいいのね?と
とてもうれしそうにしていたのを思い出します
あとはみんなでバーべキューをした時
おかわりと言って箸でお皿を叩いていたこと
私の事をとても可愛がってくれて
私をみるなりあれやこれや持ってきては
これあげる
・・・と
かわいいおばあちゃんでした
そしてひとつの疑問が解決しました
それは
昨日まで生きてて日本語(津軽弁)で会話をしていた人が
亡くなった瞬間お経が分かるようになるのかしら?
親戚や友人の通夜・葬式に参列するたびにふと疑問に思っていました
それが昨日のお葬式でのお坊さんのお話で解決しました
お経とは
亡くなった人に手を合わせるために集まった私達を救うためのもの
なんだそうです
私は今まで亡くなった人が成仏するために
亡くなった人に対して語りかけるものだと思っていました
その辺は宗派によって違うのかなぁ
ちなみに
なぜ手を合わせるのか
それは子供ならあなたから頂いた命
あなたのおかげで私があると
おかげさまでしたという感謝をあらわす行為
また繋がった命ではなくても(友人や知人)
あなたのおかげで(楽しかったや助けてもらったなど)
そのおかげさまという感謝を表す行為
なんだそうです
なるほどなぁと思いました
少なくともおばあちゃんがいなかったら
旦那もいないし娘も生まれていないわけで・・・
そう思ったら
やはりおかげさまなんだなぁと
つくづく思いました
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